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何もできないことを受け入れる

友人のmasacoさんがツイッタ―の記事をまとめていらっしゃいました。

そこから一部転載させていただきます。

↓↓↓↓

被災していない私達ができること。

【被災地に行かない】
【要請が来るまで物資を送らない】
【必用以上に安否確認の通信をしない】
【献血は必要な時ばらけて行く】
【物流優先の為ガソリンを買い占めない】
【自動車以外で移動】
【募金は大手の確実な所で】
【節電】
【善意を強制しない】

また、こちら↓の記事も読んでみてください。
http://xdl.jp/diary/index.html#20110313

阪神・淡路大震災を経験した市議のブログだそうです。

一部抜粋します。

今回の東北の地震を受けて色々思い出したところから書き出しが始まります。

—–

悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。

だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。

彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。

そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。

何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに
怒鳴り散らして彼らを追い返してくれました。

彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。

私はこの地震で何も失っていない部外者です。

そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。

ただの「被災していない人」です。

被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。

分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。

とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。

「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。

政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。

これくらいが関の山なのです。

「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。

まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。

被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。

統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない
「ボランティア」はただの野次馬観光客です。

何の役にも立ちません。

自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。

しかし、手ぶらのボランティアは、

被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。

完全に現場指揮に従うのであれば、

しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。

次に、要請されないかぎり何も送らないことです。

何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。

「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。

水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。

現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。

「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。

そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。

安否確認したいのは被災していない側です。

被災していない側が安心したいだけです。

安否確認などされても被災者には何の益もありません。

安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。

要はプロに任せることです。

16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。

彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。

彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。

被災地に必要なのは、プロだけです。

—-ここまで抜粋。

↑↑↑↑

「感謝」をされたいためにいく…

それは何のためにやっている行動なのか?

「親切」「善意」何かできることをやらなければ…の裏には、認めてもらいたい私…がいるのかもしれません。

頼まれたら、徹底的にやる。

それ以外はやらない…

岩手のじろつぺさんが書いていらしたように、被災していない私たちに望まれているのは「笑顔

今日、どれだけ笑顔になりましたか?

明日の希望にどれだけ目を向けましたか?

何もできない…といらだつのではなく、

何もできないことを受け入れて…

心配や不安になるのではなく、

心を希望へと向けようね…

—–

被災地からの声

こんな人の為にできることは?

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