今日も朝から湿度の高い
暑い空気が取り巻いていて
夏草だけが元気に
道に生い茂って来てる
米原は琵琶湖の前で
さざ波を聞いてます
林ゆう子@3です
先週の金曜日、主人の父が
亡くなりました
昨年の今頃、病気が見つかり
それでも元気にしていたのですが
主人も転勤を希望して
やっと通ったのがこの4月
家を決めた3日後に
父はそれを待っていたかのように
入院してしまいました
…あまりに突然で
いつかは…と思ってはいたけど
こんなにも早くで…
しかも
やっと近くになったから
もっとどっかに一緒に行ったり
お話を聴こうとしていた矢先
実感がない…というのが
正直なところです…
その日も素晴らしい夕焼けで
普通に綺麗な美しい情景を
見ながら
でも、さっきまでとはもう違う
言葉にはならない空洞が
あることを頭のどこかで
感じながら…
やらないとならないことを
淡々とこなす、という日々でした
お葬式が終わり、
手続きはあるものの
普段の日常が戻る中
そこを見れば
哀しみはいつでも溢れ出し
心はふさいでしまうけど
皆が普通でいようと
なんとなく、元気にしてる
それも必要かなと…
もう少し時間経たないと
多分本当に感じてる哀しみやら
喪失感は感じれないだろうな
多分
普段はあまり意識してないけど
この普通でいることを
無意識で意識しているというのか
幾層もの膜で
母を包んでいるような
そんな感覚
多分、無意識にその層を
広げてんだろうな…
やっぱり、くたびれるね
大阪になっていて良かった
時間があれば
度々寄ることができるだろうし
じゃないとご飯も一人だと
食べないもんね
こういうとき、
ああ、田舎で良かった…と
思ったことがある
確かにね
今回お葬式をしてみて
しきたりとか、
もうね、様々なやることが
沢山あって
すっごいな~と思って
ビックリしてました…
お父さんが亡くなった…と
わかるや否や
もう家に帰ったときには
日本家屋の昔ながらの畳の部屋は
襖や引き戸がとっぱられ
ご近所さんたちの手で
完璧に準備がなされて
いましたから…
今回は家での葬儀では
なかったのですが
家でやるときは
あっという間に祭壇が
出来上がるそうですもん
都会の少し希薄な
つき合い方に慣れていると
田舎のそれは
重たかったり
鬱陶しいと感じたり
するのかもしれないけど
今回、母が一人になることを
思ってみてみると
きっと誰彼れが訪ねて
母を一人にはさせておかないし
様子を見ていてくれるのだな…と
ある意味安心であったりする…
1つの事柄には
「自分にとって」の
良い面、悪い面があるけど
それはあくまで
「こちら側」の判断
ただ、それは
「そういうもの」なんだと
今回なんとなく思ったの…
どんなことも全部含んで
「そういうもん」
もう少し
母のそばにいて
それから大阪に戻ろうと思います
でも、本当
まだ元気なうちに
出来ることはしておかないと…と
お葬式に横浜から
参列してくれたうちの父の顔を
見ながら、思った次第です
米原の父について
また、今回のことについて
思うことは色々あるのですが
今はまだ、書けない…な
普通であること、
何でもない中にある幸せ
それがなにより…なんだよな…と
思う、昨日、今日の食卓…
ご飯食べるときに思うよね…
「ゆう子、飲まんかい!」と
美味しそうにお酒飲んでた
父の存在とかを…ね
何もない普通の日の
何でもない幸せ…
感じてください
これは父が逝った日の夕焼け
いつもに増して綺麗な日だった…
@3…村の団結というか
素敵だな…と思う数々のこと、
主人の祖母の法事、
私たちの結婚報告会(披露宴)
そして今回のお葬式で感じました
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