こんにちは、女子力UPナビゲーターのゆうこです。
の今住んでいるマンションでは住人どおしの挨拶は普通に
行われる。
「おはようございます」
「こんにちは」
夜、エレベーターで一緒になれば先に降りるほうが
「おやすみなさい」と一言後の人へ声かけていくのが普通です。
だから、挨拶しても返事がない人はここの住人でないか新参者だとわかります。
いらっしゃるお客様も「みなさん、礼儀正しいですよね」とおっしゃる。
でも、普通のことだと思うのですよー。
よく、「気持ちよい挨拶を!」なんて壁に貼っているところもあるけど
挨拶ないほうが気持ち悪いと思うのよねぇ。
あんなの貼らないとできないのかなぁ…って寂しくなっちゃう。
会社に行っていても、バイトのときも、挨拶だけはしっかりしてたなぁ。
たぶん、うちのマンションも挨拶好きの方が3~4人いらしたんだと思う。
(その中の一人は多分私だけど…)
誰がやらなくても自分がやっていたら、だんだん、皆さん挨拶する
ようになるし、そのうち、中で会ったらみんな、
普通に挨拶するようになりましたもん。
今思うとね、それってお祖父ちゃんの影響だったのかな。
お習字の先生だったお祖父ちゃんが子供のときに、
「挨拶は大きな声で!」とよく、お習字習いに来ている
子供たちに言っていたのをふと、思い出しました。
海軍の砲撃の教官をしていた祖父なので、規律や姿勢などには
厳しかったように思います。
知らず知らずのうちに、そういうことって躾けられていたんだなぁって
考えてしまいました。
ところで、私はマンションなんてものは結婚してから初めて住んだ
のですがそれまで一軒家で隣近所のお付き合いなんていうのが、
普通にあったのですけど、頂き物を沢山したので隣のお部屋の人に
お裾分けして、ちょっと不思議な顔をされていたのを思い出します。
きっと、びっくりしたんだろうねー。
引越しの挨拶も左右隣、上下の部屋にはするのが普通だと思っているので
お菓子をもって挨拶しにいったらびっくりされたこともあったですが、
いまは隣にどんな人が住んでいるかもしらない人が多いのよねー。
でも、私は挨拶をすることで自分のエリアのなんていうのかなぁ
氣のバリアをはるような感じを受けるの。浄化するっていうのかなぁ。
だって、気持ちのいい挨拶されたら、相手だって気持ちがいいもんでしょ?
(あるサイトから)
挨拶の語源は仏教語の“一挨一拶”
“挨”は押すとか接近する近づく
“拶”は迫る はさむという意味です
師家と修行者または修行者同志が相対して相手から何かよいところを引き出し、
或いはよいものを与えたいと思う言葉または動作のことを指しています
面と面と向き合っての気持ち・行動を相互に受け渡しすることから
面授ともいわれます
これが転じ「応答」「返礼」といった言葉になって
さらに人に会ったときや別れるときなどに交わす言葉や動作をも指します
挨拶というのが禅問答でその人の修行の深さを測っていたということから
きているのであれば、その「挨拶」一つにもその人の生き方が
現れてくるような氣がしますよね。
でもね、このマンションの新入りの人たちも1ヵ月もするとちゃんと挨拶が
できるようになるから不思議です。ははは、だから慣れなんですよ。
挨拶するのが普通…って思えば、それが当たり前でしないと気持ち悪く
なるのですよ。
挨拶したいですよね。大事な事だと思うのよ。
—–
この記事へのコメントはありません。