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何故こんなことが起こるのか…

涼しくなってくると
気持ちよく寝れるために
朝起きるのが
本当に辛くなって
泥のようになったカラダを
布団から起こすのが
大変になっています
林ゆう子@3です

2020年には東京オリンピックが
開催されるとのこと…

その時に東京は
どんな風になっているんだろう…

ふとそんなことを
考えてしまうのですが…

きっと、このことが
あるおかげで…と
いうことがうまく廻るのだろうな…

ところで9月のこの時期に
なってくると数年前の9.11が
思い出されます

先日も東日本大震災に
あわれた方の番組が
あったようなんですが
(TVみないのでわからないが)
それをご覧になった方から
こんなメッセージを頂きました…

正直この震災など天災による
悲惨さを目にする度に
「引き寄せの法則」では
どう説明はつくのだろうか?
って考えてしまいます。

誰も望んでないことが
起こるのは何故なのでしょう?

確かに望まなければ
叶わない夢もあると思います。

それは引き寄せれば良いと思います。

でも家族や親戚、
友達と普通に暮らすのは
当たり前の願い、

常に心の中に
当たり前にある
疑いようのない願いなのに、

何故それが壊れるような事が
起こるのでしょう?

こういうことを見て、
自分の身に置き換えて
学びにするには
あまりにも犠牲が大きい気がして。。。

ちょっとそんなことを
考えてしまいました。

Yさん、ありがとうございます。

私も本当にそれ、
わかります…
私もそういう風に思い
憤りを感じていました

こういう法則があるとは
思っていながらも
何故、こんなことが
起こってしまうのだろう…と

天変地異に限らず
戦争にしても…

どうしてそんなことが
起こるのだろう…と

ここからは
あくまでも「私」が思うことで
私はこんな風に考えている…と
いうことです…

世の中には
この「引き寄せの法則」だけでは
なくて色々な理(ことわり)が
あるのだと思っています

目に見えているもの
だけではなくて…

私たち個人のこの一生を
考えたときに
その中で経験したこと、
それを通じて学んだことしか
死ぬ時にあちらには
持っていけないと思っています

人はこちらの世界に
生まれでてくるときに
今回の人生で
何を学ぶのか…というのを
あらかた自分で決めて
出てくるのだそうです…

それをどのようなカタチで
経験するのかは
生まれたときには
覚えていないわけですが…

望みを叶える思考のチカラ

それを使うベースとして
色々なシチュエーションを
与えられて
この世に来ているのではないかと
思うわけです…

だから
平穏な状態よりも
成って欲しくない状態に
陥っている人のほうが
もちろん、もの凄い負荷が
かかっているわけです…

昨年、
「天から見れば」という
ドキュメンタリー映画を
みました

少年時代に事故で両手を失い
絶望の淵にあった、
南正文少年を救ったのは
同じく事件で両手を失った
大石順教尼だった。

日本画家、南正文さんと
順教尼の生き様から
奥に流れる力を描いた
ドキメンタリィー映画

…というものなんですが
自分のカラダが不自由になる、
大病をする
大事な人を失う

など人としてのそれまでの
持っていたものを
全て無にするような
出来事を経て

立ち上がる人の姿を見た時
私たちは無条件で感動し
無意識に自分の中をみて
いま、恵まれている自分の
状況や環境に感謝する
そんな心が生まれるように
思います…

この映画から受けたのも
そんなことでした…

この少年を助けた
大石順教尼という方は
ご自分の養父から
両手を刀で切断されて
しまいます…

他の家族は全員殺された中
一人だけ助かるのですが…

その禍々しい事件
本来は在って欲しくない
そのことでさえも

最期には
このおかげで…とさえ
捉えているお二人の姿に

思考では捉えることができない

こうだから、こうだ…と
いうような

そんな理屈では説明ができない
何か大きなものが
後ろにはあるように感じました

ただ、健康な身体の少年が
努力して日本画家になって
いくよりも

両手がない状態で
這い上がり、
心を切替え、
どうかするとネガティブになる
意思のチカラを
作品を創り上げるという
エネルギーに変換し
素晴らしいものを作り出す

私、思うんですよ…

そういう人の姿は
人の多くの希望や
感謝の気持ちを呼び起こして
気づきをもたらすと…

そして
それは癒しのチカラを持っている…

あれだけの
多くの犠牲の上に
その出来事を学びに
変えれる方もいれば
ずっとその出来事の中に
閉じこもる人もいるでしょう

でも、その一人ひとりの
気づきのチカラは大きくて
地球規模に病んでしまった
この世界を変えていく
1つのきっかけとなるのかな…と

もちろん
それは当事者ではない
距離のある見方であって…

今度、東京や大阪で
また大きな地震があったとき
私の大事な人たちが
失われてしまったときに

そんなことを思えるのかと
言ったらそんなわけはなく…

もしかすると
普段言っていることを
かなぐり捨てて
後追い自殺とか
しているかもしれません

ですが
このなってほしくない状況、
どうしていいかわからない
そんな状態の中からも

人は希望をみて
立ち上がり
また、進んでいくことが
できるという

その強さを
そのしなやかさを
その可能性を感じるために

こんなことが
起こるのかもしれない…と
思うのです…

近年中にまた大きな地震が
起こるとも言われています

起こって欲しくないこと
なって欲しくないこと

それが突如目の前に
起こってしまったとき…

私はどうしてしまうだろう…

実はそれを
いつも考えているんです…

震災や戦争、その他のことは
もちろん、私たちが
望まないことが多い…

ですが
その望まないことが
起こってしまったときに

「何故起こったのだ?」と

悔やみ、呪い、不幸を嘆き、
哀しみにくれ、
生きる希望を失うことも
あるだろうけれども

それでも先を見て
「生かされたことを感謝し
生きることを選択する」

ということができる人を
増やしたい…と

「もうだめだ」と思うのではなく

その同じ状況の中でも

「大丈夫、生きるんだ」と

思える人を作りたい…と

そんな風に考えるのです

1人、そういう思考ができる人が
いたならば…
多分、その周りにいる5人くらいは
助かると思うんですよ

だけど、大切な人を失った
哀しみや苦しみがなくなることは
ありませんよ

もちろん、ずっと悲しいし
自分も死にたくなると思う

それでも
その気持ちを持っていても
前をむくことができるのだ…と

人の強さ、優しさ、
可能性を見せてくれるために
こんなことが起こるのだろうか…と

私は思うのですよ…

これはあくまで私の思い方です

そんな風に思わない、
思えない、ということも
もちろん、あると思います

もし、
アナタがそう感じたとしたなら

じゃあ、自分はどう思うのか?
を考えてみてください…

どこが違うと感じるのか…

何が正しいとか
正しくないとか、ないと思っている

本当になにか有事が起こったら
色んな情報が錯綜して
色んな考えがあって
どうしていいかわからなくなる…

そんなときにも
私はどうしたい、
私は何を選択するのか、
私はどうなりたいのか

それをはっきりさせて
行動できる自分でありたいと
思うのですよ…

色んなことが経験です

悲しむことも
苦しむことも
その中でも楽しむことも

そして
その経験だけが受け継がれていく

そんな時代を
選んで生まれてきたのかな…と
思っています

答えにはなってないかも
しれませんけど

私がそういう理不尽な
出来事について思っていること
書いてみました…

$惹き寄せ未来を創るまんまの習慣-image

@3…明日は今度は関西の
閻魔様を廻る閻魔ツアーに
行く予定です。
大阪、奈良、京都と3カ所は
廻る予定なんですね…

—–

満喫!天満&船場ツアー

人さまの時間を頂くということ

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