No11は「まんま」
このシリーズはENMAカードという
言葉のカードを引いて出てきた言葉で
思い出すエピソードについて
コラムを書いています
連休のこの時期、
いい風が吹くので湖畔に椅子を出して
本を読むのが最高の癒しの時間
今回は「鋼の錬金術師」を再読
後半の部分でね
今まで信じ、ついてきた
軍の上層部が全く違う意図を持ち、
自分たちのためだけに
国民の命をも顧みない、ということが
発覚するのですが
ある兵士がつぶやくのです
自分たちは上官の命令に
従わないとならない、
でも、信じるということにおいて
自分はもう、何を信じていいかわからない、と
そんな彼に錬金術師の女師匠が
投げかける言葉
「自分を信じなよ」
「貴方の魂に
恥をかかせない
生き方を選べばいいじゃない」
そういうのです。
そして兵たちは上官の命令を
聞くのではなく
街にいる家族を、恋人を、守る、
という自分で在るために
命令に背く、ということを
選択するのです。
私はこれが真理、だと
思っているのです。
誰かのいう「正しい答え」を
選ぶのではなくて
自分にとっての答え、
自分はどうしたいのか、を
選ぶこと
何を選んでもよくて、
何を選んだとしても
自分が自分の魂に恥ずかしいと
思わない生き方ならばいいのではないかと
思うのですよ。
だからね、
幕末のときだって
幕府派になるのか、薩長側につくのか、
それだって
自分が信じる道を選べばいいと
思っているのです。
どっちが正しい、とかじゃあない。
誰かが言ったから、じゃあない。
自分の魂が恥ずかしくない
生き方をする、
これが「まんま」なんじゃないのか、
って思っているんです。
人生ってこの選択の連続で
作られるわけだから
自分が自分の魂に恥じないような
選択をし続けていけば
自分、っていう人間のまんま
生きれるのでは、って思うのです。
だから、
何かに頑張るだけでなく
最小の力で面白おかしく生きる、
ということにしてきたなら、
それでいいと思う。
誰も彼もがすごくならなくていい。
魂に恥じないって
すごくなることじゃないから。
TVみていて、ダラダラ過ごしても
それで幸せなら、それでいい。
でも、もし
何かしら、何もやってない感じとか
なんか魂をちゃんと使いたい、
と思っているのだとしたら
今、気になっている「やったほうがいいこと」を
やってみてもいいと思う。
例えばね、
「ありのままの自分」を探して
占い、カウンセリング、チャネリング
プロファイル、強み発掘、など
あらゆるところにいって
自分の持っているものや、
方向性、可能性を聞いてますか?
その後、どうしていますか?
ただ、持っているのではなくて
それを使えるようにしていますか?
「私、こういう強みがあるそうです」
「本当はこうなんだそうです」
って言っているだけではなくて
折角持ってきた、自分のスペックを
全部使い切って
役立てたいと、私は思うのですよ。
使えないなら、ないのと一緒
持っている、と言われたものを
そのつもりで意識して
ちゃんと使っていくぞ、と私は思っています。
強みや持っている可能性を聞いて
満足してませんか。
それをちゃんと使いましょうよ。
あると意識して、
じゃあ、それを使っていくために
できることはなんだろう?
高めることはなんだろう?
その考えたことを、やる、ってことです。
ご自分の魂が恥ずかしくない、生き方で…
アナタの魂は今のアナタの生き方を
誇りに思っていますか?
魂に恥じない、どんな生き方をしますか?
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